中谷一馬 (総支部長・衆議院)

総支部長 中谷一馬 プロフィール

1983年生。B型。 貧しい母子家庭で育つ。

厳しい経済環境で育ったことから、経済的な自立に焦り、日吉中学卒業後、社会に出る。だがうまく行かず、同じような想いを持った仲間たちとグループを形成し、代表格となる。 

しかし「何か違う」思い直し、横浜平沼高校の通信制に復学し、21歳で卒業。社会人として働きながら、呉竹鍼灸柔整専門学校を卒業し、柔道整復師の資格を取得。その後、慶應義塾大学 経済学部 通信課程に進学。デジタルハリウッド大学大学院にてMVPを受賞し首席で修了。DCM(デジタルコンテンツマネジメント)修士号の学位を取得。 

その傍ら、東証プライムに上場したIT企業(株)gumiの創業に執行役員として参画。

こうした過程において、社会を変革する必要性を感じ、人の役に立つ人生を歩みたいと政界進出を決意。

第94代内閣総理大臣 菅直人の秘書を務め、27歳で神奈川県議会における県政史上最年少議員として当選。在職中、世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)のGlobal Shapersに地方議員として史上初選出され33歳以下の日本代表メンバーとして活動。また第7回マニフェスト大賞にて、その年に一番優れた政策を提言した議員に贈られる最優秀政策提言賞を受賞。 

その後、立憲民主党 神奈川7区(横浜市港北区) 衆議院議員に当選(現在3期目)。 著書『セイジカ新世代』(幻冬舎)と『どうする、野党!?』(幻冬舎)が「憲政の神様」尾崎行雄記念財団が選ぶ「今年の一冊」に選ばれ咢堂ブックオブザイヤー2020&2023にて大賞を受賞。

2024年には、国会で最も活動した議員として「三ツ星議員」(709名中12名)に選出。 

現在は、立憲民主党ネクストデジタル・行政改革・公務員改革担当大臣、党企業・団体交流委員会 副委員長、党広報本部幹事、党幹事長特別補佐、神奈川県連 幹事長などを務めながら妻と共に2人の娘の子育て中。趣味は、”ラーメン”の食べ歩き。

誰もが敗者復活できる社会を実現する

私は母子世帯の貧困家庭で育った。
両親は父のDVと無鉄砲さが原因で離婚。
母は10歳の私と4歳と1歳の妹を養うために早朝から深夜まで働いた。
無理が祟り、ある時期に母は身体を壊して寝込むようになった。
そして我が家は生活保護を受けることになった。

子どもだった私はただ無力で、悔しさを感じながらも母の代わりに働きに出て家計を支える力はなかった。
そんな母は62歳で尊い生涯を閉した。
いつも笑顔で愛を注ぎ続けてくれた母には今でも心から感謝している。
当時、3人兄弟の長男として、母と家計を支えるために中卒で社会に出るも挫折。
社会の底辺を這い回り「負け組」のレッテルを貼られ続けた。
世の矛盾を感じ、政治家になって社会を変えたいと思った。

周囲の人からは、
「中卒で政治家になれるわけないだろう。」
「馬鹿じゃないのか。まず高校行けよ。」
と言われた。悔しかった。
でも一念発起した。

21歳で通信制の高校を卒業。
どこの馬の骨かもわからない私を
後の総理・菅直人さんが拾ってくれた。
運転手のアルバイトから政治人生を始めた。

26歳の時、菅さんが総理大臣になった。
これで社会がよくなると、涙を流して喜んだ。
しかしながら民主党の政権が評価されず、3年で下野した。
失敗したからこそ学んだことがある。
私は自民党を超える、皆から愛される政党をつくりたい。
国民から信頼されるもう一つの選択肢となる政党をつくることが、日本の政治をより良くすると信じている。
この初心は今でも変わらない。

27歳で神奈川県政史上最年少議員になった。
世界経済フォーラム(ダボス会議)のGSC(U-33日本代表)に選出された。
一番優れた政策提言をしたと評価され、マニフェスト大賞で最優秀政策提言賞を受賞した。
学生時代に役員を務めたIT企業が上場した。

31歳、有頂天で迎えた衆議院選挙で落選。
落ち目の時、多くの人が離れていったが、苦しい時に傍で支え続けてくれた人もいた。

34歳、絶対に落選すると言われた選挙で当選。運に恵まれ国会のスタートラインに立った。
夜間にデジタルハリウッド大学大学院に通った。
ネット投票の研究でMVP受賞し首席修了した。
著書『セイジカ新世代』が今年の一冊に選出。
咢堂ブックオブザイヤーの大賞を受賞した。
国会で最も活動した国会議員として「三ツ星議員」に選出された。

日本が一番恐れるべきことは、少子化でも景気経済の低迷でもない。「どうせ頑張っても意味がない」と皆が諦めてしまうことだ。私は出会いと好機に恵まれ、人生を復活できた。単なる”ほどこし”や”保障”だけではなく失敗した者、不平等に晒されている者が
リトライできる、チャレンジできる、手が差し伸べられる、チャンスを享受できる。そんな寛容で豊かな社会を私はつくりたい。

2030年代、私は総理大臣を目指す。
現政権を超える新たな選択肢を創るために。
「貧困」 と「暴力」を根絶するために。
「平和」で「豊かな」世の中を創るために。
そして、子どもたちの未来のために。